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ミック・テイラーのライブ(後篇) [コンサート]

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 ミックテイラーがライブを行う直前

 LAでは奇しくも、ローリング・ストーンズのコンサート
 
 「スティール・ホイールス」ツアーが行われた。

 会場は8万人収容できるメモリアル・コロシアム。
 
 そこで4日間。

 延べ30万人ほどがライブを楽しんだ。

 その直後、元ストーンズ・メンバーのミック・テイラー

 サンセットのライブハウス。

 ロキシーで一夜限りのライブ。

 観客は50人ほど。いや、もっと少なかったか?

 大きな差が嫌が上でも目についた。

 ミックジャガーがステージでもの凄く元気だったのと比べても

 ミックテイラーは晩年のエルビス・プレスリーのように太り

 アーティストというより、レコード会社の重役のようだ。

 生彩がなく、元気もない。

 ボーカルは彼ではなく、相方の女性。

 テイラーはギター演奏のみで歌わない。

 ストーンズ時代の歌。3曲だけ演奏した。

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 僕の記憶が正しければ、

 「シルバートレイン」「ロックオフ」

 あと何だったかな・・バラードぽいものだった

 「アンジー」? だったかな・・。

 もしかすると、その3曲。本当はテイラーが作曲したものかもしれない。

 何だか見ていて辛いライブだった。

 ギターテクニックはやはり凄いものがあるが、

 どうしても、先のストーンズと比べてしまう。

 方や8万人の前で、方や50人の前。

 相変わらず元気で走り回るミック・ジャガー。

 太って、生彩のないミック・テイラー。

 2人のミック。

 でも、これがロック・ビジネス業界の現実。

 アパートに帰り、「タイム・ウェイツ・フォー・ノーワン」を聴いた。

 ストーンズ・ナンバーでも、最も好きな曲のひとつ。

 (つづく)

 
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ミック・テイラーのライブ(前篇) [コンサート]

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 ミック・テイラー

 その名前を聞いて「あーーーー」という人はさすが。

 そう、元・ローリング・ストーンズのギターリスト。

 アルバムでいうと「レット・イット・ブリード」で2曲ほど参加

 「ステッキーフィンガーズ」

 からはメンバーとして参加している。

 テイラーが加入したことで、ストーンズ・サウンドは広がった。

 「タイム・ウェイツ・ノー・ワン」

 は彼なしにあり得なかった曲ではないか?

 しかし、彼が曲を作っても、ジャガー=リチャード作とされてしまったことで

 不満を持ち、脱退したという噂もある。

 実際、ミックやキースでは書けないような曲。あの頃にはいくつかある。

 そして、彼がメンバーにいた頃にリリースされたアルバム

 「ステッキー・フィンガーズ」「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」
 
 「メインストリートのならず者」「山羊の頭のスープ」

 が、ストーンズにとっても最盛期だったと言われる。

 ミック・テイラーは脱退後。ソロ活動を続けていたが、

 その後のことは知らない。

 脱退した(解雇された)ブライアン・ジョーンズはプールで溺死したが

 彼はどうしているのか?

 留学中。あるライブに行って、チラシを見つけた。

 ミック・テイラー・ライブ!

 凄い! 絶対に行きたい!

 それがサンセット・ブルーバードにあるライブハウス

 ロキシーだった。

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 (つづく)


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ライブハウス・ロキシー [コンサート]

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 サンセット・ブルーバードには昔

 ウイスキー・ア・ゴーゴーという伝説のライブハウスがあった。

 ドアーズ、ザ・フー、キンクス

 等が無名時代に出演した場所。

 1980年代には日本のシャネルズがそこでライブを行い、話題になった。

 が、その後、店は潰れ、

 僕が留学していた頃に一度、復活。

 ロック好きの若い友人を店の前まで連れて行ったら

 「ああ、ストーンズの歌でもありますね?」

 それは「ゴーイング・トウ・ア・ゴーゴー」だろ?

 ここは「ウイスキー・ア・ゴーゴー」

 伝説のライブハウスも、知らない世代が増えている。

 その後、また潰れて、今はない。

 だが、今回、サンセットを走っていて、昔よく通ったライブハウス

 生き延びているのを発見。

 ロキシー。

 ここにもいろいろと想い出がある。

 あのミック・テイラーのライブ。ここで見た・・。

 (つづく)

 
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マドンナから、レイチャールズまで(後編) [コンサート]

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 かなりのコンサートに行くことができたが、

 行けなかったのはドナ・サマーと

 再結成が噂され、coming soonで告知まで出て実現しなかった

 レッド・ツェッペリン。

 しかし、長々と音楽の話をを書いて

 「ほーー、スゴイなあ」「そうだよな!」

 と喜んで読んでくれるのは、カドヤさんだけ?

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 「映画の勉強に行ってコンサート行ってどうする?」

 そう思うかもしれないが、

 これらコンサート。

 大学の授業より、ずっといろんなことを教えてくれた。

 素晴らしいものを見ること。一流アーティストのライブを体験すること

 どんな作品を作るにも一番の勉強。

 映画監督になりたいと、映画だけ見ているようでは駄目。

 絵画、音楽、陶器、アート、何だって勉強だ。

 コンサートに行くということは、マイケルジャクソンが講師の授業に出ること。

 キース・リチャードの講義を受けること。

 超一流講師のゼミ。いくつも経験したということなのだ。

 ただ、その成果を発揮できるか?どうかは、LA留学を終え

 日本へ帰ってからのこととなる・・。

 (つづく)

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マドンナから、レイチャールズまで(前編) [コンサート]

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 コンサートの話も、補足。

 USCのアパート時代

 歩いて行ける会場のコンサートしか行けなかった。

 それが車を持ってからは、LAだけでなく、近郊の街もOK

 マドンナはLAスポーツアリーナ。

 1986年の「バージン・ツアー」は大阪球場で見たが

 まるでアイドル歌手のコンサートだったが、

 1990年の「ブロンド・アンビション・ツアー」

 素晴らしかった。

 「ライク・ア・プレイヤー」は鳥肌。彼女もまたアーティストであること感じた。

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 コロシアムのU2も捨てがたい。

 が、また書くと長くなるので、カット。

 とにかく、LAでは様々なコンサートに行った。

 今回は訪れていないが、ユニバーサル・シティにある

 アンフ・シアターでは

 ビージーズ、スティービー・ワンダー、ジャクソン・ブラウン。

 ビーチボーイズ、シンディ・ローパー、B B・キング

 リンダ・ロンシタット、ウイリー・ネルソン、

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 等を見た。

 ウエスタン・フォーラムでは

 エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、スティング、デビッド・ボーイ。

 ポール・マッカトニー、フィル・コリンズ。
 
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 そして、ジャネット・ジャクソン

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 グリーク・シアターでは

 オールマン・ブラザース・バンド、ドゥービー・ブラザース。

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 街のライブハウスでは

 チャック・ベリー、ジョン・リー・フッカー、レイ・チャールズ

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 デボラ・ハリー、ミック・テイラー、チープ・トリック、

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 ジュリアン・レノン、坂本龍一、渡辺貞男、等のライブを見た。

 どれも想い出に残るものばかり

 このブログで、それぞれ1話ずつ書きたいくらいだ。

 (つづく)

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マイケル・ジャクソン in LA (後編) [コンサート]

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 そんなマイケル・ジャクソン。

 亡くなる前から「青い青い空」のシナリオには

 「マイケル・ジャクソン。知ってるやろ?」

 という台詞があった。書道合宿のとき。

 卓也役の冨田佳輔君と、何度もその話をした。

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 彼はその後、マイケルのCDをレンタルして借りて勉強している。

 「卓也はロックファンの設定ですから!」

 その後、ブルースのCD&ビデオも貸したら、毎日聴いていた。

 なかなかの努力家だ。でも、こういう。

 「最初は役作りで聴いてたんですけど、いい歌多いですね」

 マイケルやブルースの歌は

 20歳前の若い冨田君の心も捉えたようだ。

 マイケル・ジャクソンのコンサート。

 一番、印象的だったこと。

 ステージに立つ間に、彼が発した言葉は2つだけ。

 ステージを降りるときに

 「I love you」

 そして、アンコールが終わったときに

 「We love you」

 その2言だけ。

 マイケル・ジャクソン。享年50年。

 素晴らしいアーティストは短命なのか・・。

 今年、僕も同じ年齢になる・・。
 
 (つづく)

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マイケル・ジャクソン in LA (前編) [コンサート]

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 スポーツ・アリーナで見たアーティスト。

 あのマイケル・ジャクソンもここだ。

 彼は独特・・。

 ストーンズやスプリングスティーンはやはり、ライブ!

 という感じのコンサートだ。

 それに対して、マイケルやショーだ。

 しかし、恐ろしく完成されたショー。

 ファンでなくても観客を魅了し、楽しませる。

 歌って、踊って、また歌う。

 「スリラー」のシーンはステージで、ミュージックグリップを再現。

 引田天功のマジックのように、オオカミ男に変身。

 そしてゾンビたちと踊る。

 英語が分からなくても、どこの国の人でも楽しめる。

 エンタテイメントだった。

 昨年、彼が死亡したあと。リハーサル風景を記録した映画

 「This is it!」が公開。新宿で見た。

 単なるアイドル歌手でないこと、よく分かった。

 歌に、踊りにこだわり。

 リハーサルではステージディクレクターを困らせてばかりいた。

 彼の中にはすでに出来上がったコンサート・イメージがあるのだが

 それを伝えることができず苦悩していた。

 外から見ると、単なるわがままな芸術家に見えたかもしれない。
 
 しかし、妥協を許さないアーティストであること感じる・・。

 (つづく)

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スプリングスティーン in LAスポーツ・アリーナ(後編) [コンサート]

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 アコーステックで演奏した「ボーン・トウ・ラン」

 すぐあとに、日本の尾崎豊が「17歳の地図」を

 同じくアコースティクギター1本で演奏した。

 その彼もブルースに憧れ、歌手となった若者だ。

 「17歳の地図」は彼なりの「ボーン・トウ・ラン」であり

 ブルースの歌にインスパイヤーされた作品も多い。

 当時、尾崎は次のステップに上がろうとして、足掻いていた。

 「街路樹」という傑作アルバムをリリースしながらも

 ファンは「17歳の地図」の頃のイメージを追い、違和感を持っていた。

 そして26歳の若さで、この世を去る。

 当時、僕は日本に戻り、映画監督を目指してシナリオを書きながら

 雑誌のライターをしていた。

 尾崎豊にインタビューしようと、何度も企画を出した。

 ブルース・スプリングスティーンの話を聞いてみたかったのだ。

 しかし、その企画は毎回却下。実現しなかった。

 ブルースは今年62歳になる。
 
 そして今も彼は、アメリカで歌い続けている。

 (つづく)

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スプリングスティーン in LAスポーツ・アリーナ (中編) [コンサート]

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 子供時代からエルビス・プレスリーに憧れ、

 第二のボブ・ディランと言われて、

 ロックン・ロールを歌い続けたブルース・スプリングスティーン。

 1973年のデビュー作「アズベリーパークからの挨拶」から

 1975年の「明日なき暴走」。1980年「ザ・リバー」

 そして大ヒット「ボーン・イン・ザ・USA」

 デビー以来続いたひとつの時代、終わろうとしているように思えた。

 実際、このあとのブルースの作品を見ると、それが現れている。

 1992年 『ヒューマン・タッチ』

 1992年 『ラッキー・タウン』
 
 1995年 『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』 2002年 『ザ・ライジング』
 
 2005年 『デビルズ・アンド・ダスト』

 皆、地味で心に染みる歌ばかり。

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 そう。第二のディランと呼ばれたブルースは

 そのボブ・ディランがアコースティクギターを置き
 
 エレキギターに持ちかえたのと、逆の行動を取った。

 映画界でいえば

 「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」

 と時代劇アクションを撮り続けていた

 黒澤明が晩年は、「影武者」「乱」「八月の狂想曲」

 と地味な文芸作品を撮ったのと同じことなのか?

 スピルバーグも「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディジョーンズ」と
 
 派手なアクションものを撮っていたのが

 やがて、「カラーパープル」「シンドラーのリスト」

 地味なヒューマンドラマを撮り出したのにも似ている。

 数年前、スピルバーグは久々に「インディ」シリーズを撮ったが

 もう昔のパワーがなく、年齢を感じさせた。

 作家はひとつの時代を終えると、次のステップに上がり

 後戻りはできないものなのだろう。

 その意味で「トンネル・オブ・ラブ」ツアー

 ブルースの一時代の終章であり、新たなスタートと言えた。

 (つづく)

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スプリングスティーン in LAスポーツ・アリーナ (前編) [コンサート]

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 「born in the USA」ツアーに続く、1988年の

 「トンネル・オブ・ラブ・エキスプレス・ツアー」をここで行っている。

 収容人員役2万人。

 メモリアル・コロシアムよりは狭いが、その分盛り上がる。

 3日間のライブ。全て通った。 

 第一部の終わりの「ボーン・イン・ザ・USA」は全員で大合唱となり

 20分以上も演奏が続いた。全員が飛び上がって歌うので会場が揺れた。

 しかし、ロックンロール大会だった前ツアーとは変わり
 
 しっとりと聴かせる歌が多くなったのが印象的だった。

 この年に発売された「トンネル・オブ・ラブ」

 近所のCDショップ「WHERE HOUSE」に並んだアルバム・ジャケットを見て

 「フリオ・イグレシアスの新作?」
 
 と思い、すぐにブルースのCDとは気がつかないほどだった。

 収録曲もほとんどがラブソング。

 「ブリリアント・ディスガイス」「タファー・ザン・ア・レスト」等

 心に染みる歌が多い。

 1949年生まれのブルース。

 「ボーン・イン・ザ・USA」のときは35歳だったが

 この年、39歳。もう、40代に入ろうとしていた。

 ロックンロール少年だった彼も、別のステップに上がろうとしているのを感じる。

 必ず、最後に演奏する「ボーン・トウ・ラン」も

 いつものエレキギターではなく

 アコースティック・ギター1本による演奏。

 いつもなら、歌の最後に観客が参加

 「ウォ、オッオーーーーーオーオオーオ、オーーーーーー」

 とハモるところも、静かなコーラスとなる。

 感じるものがあった・・。

 (つづく)

 
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